わかりやすさと食べやすさ

わかりやすさは,食べやすさに例えることができると思う.

わかりやすい知識は,おかゆやミルクなどの流動食のようなもの.

わかりにくい(難しい)知識は,魚自体や肉や雑穀などのそのままでは食べにくいもの.

 

わかりやすやを求めることは流動食ばっかり食べることであり,体は健康には近づかない.知識も浅い表面だけを身につけるようなものであり,深く,知恵など役に立つところまでは辿り着かないのではないか.

わかりにくく,難しい知識は,そのままでは食べることができないし美味しくもない.調理する方法を知ることが必要になる.しかし,手間をかけて得られた知識は,美味しいものであり,役に立つものと言えよう.

物事を理解したり,身につけて行く段階で流動食は必須であるとおもう.素材だけ与えられても美味しくできないし,つまらなくなる.最初は,やさしくわかりやすいものから,それからわかりにくく難しいものに取り組めるように知識の料理の仕方を学んでいく.そして,難しい知識を獲得して使える様になる.

これの繰り返し!

 

最近,わかりやすさだけを求めていたため,心にこのことを刻んでおく.

 

丸とピリオドだとどっちがいいのだろう.

実際はどちらを用いるかは決まっていないらしいけど・・・

文章を書く練習。

本を読むだけでなく、内容を文章でまとめるとよいと「論文の書き方」という本に書いてあった。

読むや聞くだけよりも使う精神力の量が格段に違うらしいので身につきやすいらしい。

その本で短文という表現があり、短文は原稿用紙4枚ほどらしい。自分にとってはハードルが高い・・・

文章を書くことに慣れていないし、使う精神力の量が多いためつい面倒くさがってしまう。この文章も結構無理して書いている。文章を書くことを楽しめるときは来るのだろうか・・・。